「も」のもんだい
駅から雨にも濡れずに買い物ができる。なるほど、客にとっては便利だ。で、それで?
「雨にも」の「も」って何だろう。「も」というぐらいだから、雨以外にも何かあるはずだ。何が言いたいのだろう。
雪か。しかしこの店は東京にある。そうそう雪に降られることもなく、あえて雪を例に挙げる必要もなさそうだ。
この看板を手がけた広報担当者は、ひょっとすると「雨に濡れずに」と最初は作ったのかもしれない。しかしその文言にいささかインパクトの不足を感じたのではなかろうか。つまりそれだけではこの店の立地の優位性を強調することができない、と。
本当なら、「雨にも濡れず、ヤリにも濡れず」くらいの衝撃的なキャッチコピーを考えていたとも考えられる。しかし「ヲイヲイ、そりゃないだろう」と上司にクレームをつけられ、おとなしく引っ込めたのかもしれない。だが担当としては意地がある。せめて「も」だけでも残そうではないかと、密かに画策した、というわけなのである。
何かを強調したいという情動だけがあって具体的手段がないとき、人はつい、余計な言葉を口走ってしまう。この文章はその典型例だということができよう。
(撮影地:東京都町田市)
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誰が主人か?
Windowsのスタート画面である。
Windows使いの人は、こういう画面に何の疑問も感じることなくパソコンを立ち上げているようだ。
しかしよく考えてほしい。「ようこそ」とは誰が誰に対していう言葉か。
主人が、客に対していうのが「ようこそ(いらっしゃいました)」だろう。
この場合主人とはWindows、あるいはMicrosoftだ。そして客とは私やあなたということになる。
そうだろうか? 私は金を出してWindowsパソコンを買った。そしてそれを「使って」仕事やゲームをしている。あくまで「私」が主人のはずなのに、Microsoftの考えはそうではない。主人はMicrosoftやWindowsであり、使う人はあくまで「客」であり「従」なのだ。
徹底して、何らかの目的を達成するための使いやすい「道具」としてコンピュータを考えて来たSteve Jobsらの思想とは、まるっきり逆だということがわかる。
iPhoneやiPadが顧客満足度ナンバーワンで熱狂的に指示されている理由はそこにある。使い手の手になじむ心地よい道具としての位置づけ。
道具の使い手を無視し、いつまでも「ようこそ」と主人面を続ける過ちに気づかないMicrosoftは、ますます「客」からそっぽを向かれて行くだろう。
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